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戦争博物館創設者 栗林白岳名誉館長

戦争博物館の存在意義

『だから戦争博物館は必要だ』

歴史は勝者が作った

戦争は、正義が勝つのではなく、強い者が勝つのだ。勝った者は己の正義を「絶対正義」として歴史に書き記し、敗者は滅び去るがゆえに自分の正義を世に問う機会すら与えられない。

勝者はすべてが許される

大東亜戦争も例外ではない。
敗戦国となった日本は、ありもしない南京大虐殺、強制微用、従軍慰安婦などがあったことにされ、先勝国アメリカのハーグ陸戦協定違反はすべて不問にされている。
例えば都市に対する無差別爆撃は何なのだ。
当時、都市に住んでいたのは老人、子ども、女性であり、非戦闘員である。焼夷弾という爆弾は、非戦闘員を焼く殺すために特別に開発した新兵器である。原子爆弾を落としたのも軍事施設ではなく、非戦闘員が住んでいた都市である。非戦闘員の虐殺以外の何物でもない。
その他、赤十字を付けた病院船に対する魚雷攻撃など枚挙にいとまがない。

戦争はしたが滅びはしなかった

戦争はしたが滅びはしなかった

さて、ここでもう一度振り返ってみよう。日本は敗戦によって滅びたか。
敗戦はしたが、滅びてはいない。
その証拠に皇室はその後も続き、今上陛下は神武天皇即位以来、126代を数える。
建国記念の日は、神武天皇が橿原に高御座されて以来、2680年を祝っているのである。
日本国は滅びたのであれば、「今年は新生日本建国75年」のように言わなければならないと思うが、誰もそんなことは言わないし、連合国もそのような要求はしなかった。

戦争博物館は英霊の名誉と、日本の正義を世界に問う拠点

戦争博物館は英霊の名誉と、日本の正義を世界に問う拠点

なぜ、日本人だけがすでにないGHQに忖度し続けているか。
当時の若者が勇敢に戦ってくれたからこそ、今の日本があるのではないか。
令和の御代に生きる我々が、彼らの名誉を回復するとともに、当時の日本の正義を世界に問う必要があるのではないか。
その証拠の品を大切に保管、管理しているのが戦争博物館である。

例えば戦争博物館所蔵品のひとつに、双発戦闘機「屠龍」(とうりゅう)のエンジンと機体がある。
これは帝都を空襲したB-29に体当たり撃墜したのち、千葉県八千代市郊外の水田に墜落したものを掘り出したものである。バラバラになっているとはいえ、屠龍の機体は日本中にこれしかない。搭乗員2名の偉業を伝えるとともに、学術的価値としても重要なものである。
もし、戦争博物館が崩壊してしまえば、この機体は単なる金属ゴミとして処分されてしまうのである。
靖國神社が英霊と語り合う正式な座敷、応接間とするなら、戦争博物館は軍刀を外してくつろげる酒保、自衛隊で言えばPXに相当するのである。

世の中に広まっている歴史には偽りがあり、真実が記されていない部分も多くあり、マスコミも教育も偽りの部分が多い。

昭和20年無条件降伏したとなっているがポツダム宣言を受け入れたが、無条件は武装解除すると言っただけである。
「太平洋戦争」はアメリカから見た戦争のみのことであり、正式には「大東亜戦争」であり、閣議決定は今も生きている。

正しい歴史を知るために戦争博物館が必要
若い者達に戦争に興味を持ってもらいたい。戦争で日本人に誇りをもってもらいたい。
戦争博物館はなんとしても守り抜かなければならない。後世に伝承しなければならない。
不安や疑問を持っている人に何かを感じてほしい。無関心の人にも来館してもらい知ってほしい。
「戦争博物館」は日本にとって重要な博物館なのである。『だから戦争博物館は必要だ』

HISTORY戦争博物館の歴史

昭和55年 栗林白岳名誉館長の管理する別荘2階で展示資料200点を展示公開
栃木県那須郡那須町大字湯本の別荘(旧田中義一内閣総理大臣別邸)に資料展示室を開設
昭和58年 那須街道沿いに戦資料館を開館
栃木県那須郡那須町大字高久乙2730
平成元年 戦史資料館から戦争博物館と改名して現地に開館
展示資料5,000点を展示公開
栃木県那須郡那須町大字高久乙2725
平成6年1月22日 「第5回陸軍軍楽隊合同演奏会」東京千代田公会堂
大東亜戦争記録保存会主催に栗林白岳館長が初の軍装出演
平成9年 大東亜戦争記録保存会の事務局を戦争博物館栗林白岳館長が引き継ぐ
平成9年9月23日 「第9回元陸軍軍楽隊大演奏会」九段開館より主催が大東亜戦争記録保存会・戦争博物館となる
平成10年 観光地「鬼怒川温泉」に大東亜戦資料館(栃木県今市市栗原字下原)を開設後に閉館(平成14年頃)
平成10年12月 戦争博物館栗林白岳館長に米国カルフォルニアの大学より軍事学名誉博士学位を授与される
平成11年3月 戦争博物館栗林白岳館長に米国カルフォルニアの大学より軍事学名誉博士学位を授与される
平成16年3月 千葉県流山市の江戸川底より航空機関銃(陸軍)航空機関銃(海軍零戦使用)7丁を発掘
※国土交通省江戸川事務所より譲渡
平成16年4月 戦争博物館において「日本海海戦百周年記念ビール」を販売
平成17年4月 展示総数15,000点を超える
平成17年11月 神奈川県三浦市の三浦海岸から九七式中戦車「チハ」を発掘
※国より譲渡(払下)を受ける
平成20年 「那須戦争博物館」ホームページを開設
平成20年9月 新潟県新潟市に「戦史資料館」を後見して一般社団法人法人設立
戦史資料館 館長 本里 福治
平成26年10月18日 「第42回帝国陸軍軍楽隊大演奏会」日本青年館が最後の栗林白岳館長が主催する軍歌祭
平成31年3月20日 栗林白岳館長が亡くなる 91歳
令和元年2月 B-29が戦争博物館で寄贈開始。慰霊祭。
令和元年6月 戦争博物館の運営継続が有志の話し合いにより決まる
令和元年9月25日 亡き栗林白岳館長の名称が「戦争博物館創立者栗林白岳名誉館長」と決まる
後継者として本里福治が館長に就任
令和元年10月1日 「那須戦争博物館」から「戦争博物館」に名称変更
令和元年10月3日 戦争博物館を法人化「一般社団法人戦争博物館」設立
代表理事に本里福治が就任
令和元年10月20日 栗林白岳名誉館長を偲ぶ会
令和元年10月28日 戦争博物館のホームページリニューアルが決まる
令和元年11月26日 一般社団法人戦争博物館設立祝賀会と役員会を那須町(自在荘)にて行う
令和4年9月 「戦争博物館」公式ホームページ重設
※戦争博物館存続のため「一般社団法人日本篤志伝承機構」を通し寄付を募る
現在に至る

GREETING館長からのごあいさつ

館長 本里 福治

栗林白岳名誉館長の死去にともない、令和元年9月より後任として館長に就任いたしました。
戦争博物館創立者栗林白岳名誉館長に引き続き、ご支援とご鞭撻を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

さて、昨年度は当館にとって開館30周年という節目の年でした。
今年から当館はこれまでの活動を踏まえて、新しい一歩を踏み出すことになります。

戦争博物館として日本の軍事に関わる歴史、文化を紹介することに力点を置くと同時に、幅広い視野のもとに内外の様々な軍事についても目配りすることを基本に活動を続けていきたいと思います。
また、正しい歴史を後世に伝えるべく戦争博物館創立者栗林白岳名誉館長の意志である「明治維新・建軍から大東亜戦争まで」の日本国の軍事の歴史を正しく振り返るとも深く関係しています。今後は、こうしたこともより強く意識した博物館展示を組めればと考えています。

ところで、近年わが国の戦争関連展示施設は、多くが地方自治体の財政難の影響を強く受けています。
当館も例外ではありません。この財政難は当面続くでしょう。

このような状況下で戦争博物館をどのように運営していくか、なかなか難しい問題です。多額の経費を必要とする博物館を運営することは、今後非常に困難です。
しかし過去30年間に蓄積された展示品、専門的知見を活かして、博物館の本質的な意味を皆様に息長く伝え続けることがこの博物館のこれからの大きな役割ではないかと考えています。

明治維新、建軍から大東亜戦争終戦に至るまでの間に国難に殉じた246万余柱の「護国の英霊に感謝」することを忘れてはなりません。国難に殉じた大日本帝国陸軍将兵の尊い犠牲の上に今の日本国があり、私たちが平和に暮らせる今があります。日本国の軍事の歴史を正しく振り返る役割を果たせる博物館を目指したいと思います。

それにしても、博物館を運営していくためには皆様方の応援が何よりも必要です。
これからも末永く戦争博物館に暖かいご支援をいただきますよう重ねてお願いして、館長就任のご挨拶といたします。

令和元年9月25日
戦争博物館 館長 本里 福治

STAFF当館の仲間たち

黒沼弘

副館長 黒沼弘

石川千代丸

支配人 石川千代丸

SUPPORT支援について

支援者一覧

準備中です

MUSEUM INFO開館情報

開館時間
[4月~9月]9:00~17:00/[10月~3月]9:00~16:00
電話番号
03-5396-7899(戦争博物館運営事務局)
休館日
改装中の為、しばらく休館させていただきます。
観覧料
大人(高校生以上)1,000円
小中学生(小学生未満は無料)500円
※各種割引あり
電話番号
TEL/FAX:03-5396-7899(戦争博物館運営事務局)
住所
〒325-0303 栃木県那須郡那須町高久乙2725(御用邸隣地)
駐車場
有り

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アクセス方法

お車でお越しの場合

東北自動車道那須インターから那須湯本に向かって7キロメートル進んだ右側です。
那須ICから約12分、アクセスしやすい那須の観光地にあります。
無料駐車場がございます。

バスでお越しの場合

那須黒磯から那須湯本行きに乗って約30分、守子阪で下車した正面です。

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